豊岡ツーリングレポート ~冒険家の正体~

冬の残滓が私を絶えず打ち続けていた。流れ消る景色は既に乳白色の街ではなく、寂れた里山に移り変わっていた。
凍て返る、寒々とした空だった。春を塗り潰す灰雲は薄く均され、果てのほうまで伸びていた。ハンドルを強く握るたび私の生力が風に巻かれ、山に消えゆくのを幾度も感じた。
だが、不思議なことに、私宅に戻りたいとは思わなかった。吹く冷風も、悴む両指も、何もかもが心地良く、どこまででも走って行ける気がした。
寂たる山嶺で、Wの律動だけが低く響いていた。

豊岡市へのツーリング計画は以前から立てていた。それが不安定な大気に翻弄され、頓挫され続けてきた。
今回は4回目にして、ようやくツーリングを行うに至ったのだった。計画を立ててから、実に2ヶ月あまりが経過していた。

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寒山を縫うようにWを走らせ続け、植村直巳冒険館に到着した。既に日は傾きかけ、薄橙色の光があたりを包み始めていた。

冒険家の正体

大題にもある様に私は冒険家を志し、そして諦めた。つい先日のことである。だが今、キーボードを叩く自分に至るにはとても長い時間を要したことであった。
私が冒険家になることを諦めたのは、社会的な立場を考えてのことではない。単純に自分は冒険家になれないと悟ったからである。それは私の素質や性格の問題も少なからず関係しているわけだが、本質的な問題は世界中の誰もが当てはまることで、たとえ誰かがヒマラヤに登攀しようと、極地へ向かおうと、本当の意味での冒険家にはなることはできないだろう。

本質的な問題。端的に言うと科学の進歩と共に地球上から未開の地が消失したことである。それは即ち冒険の定義を踏襲できなくなことに他ならない。冒険家の存在意義が激しく問われることだってあるだろう。
だから現代の有名な冒険家たちは過酷な場所へのアプローチ方法を考え、冒険の意義を繋げようとする。未開の地へ赴くのも冒険だが、成功するか分からない手段で旅立つのもまた冒険なのである。そうやって多くの冒険家達が徒歩、犬ぞり、気球、ヨット、未だ誰も考えたことのない手段で過酷な地に旅立っていった。
だが今はそのあとの世界。あらゆる手段が考え尽くされた時代である。こういう時代である以上、もはや挑戦する人間自身にドラマを背負わせることでしか、冒険を冒険として成り立たせることができなくなった。だから必然的にドラマのない冒険家はひっそりと落ちぶれていき、三流小説の主人公のような弱者が、立派な冒険家として認められていくことになる。
つまり気の弱い青年が、老人が、若い女が、体に障害をもった中年が、過酷な地にどんな手段であれ挑戦さえすれば、有名な冒険家になれるのだ。そのためには、いかに自分が弱く、そして頑張ろうとしているのかを世間にアピールする必要があり、私はその図々しさに幻滅したのだった。(もちろん全ての冒険家がそうではないのだが。)
ただ、ここで間違ってはいけないのは、こういう時代とはいえ金や名誉、自己顕示欲のために動いている冒険家は極めて少数だということだろう。どんな冒険家ににせよ、美しい景色を見たい、生を実感したいと、少なからず思いながら過酷な地に赴いているはずである。
私も冒険家を志した手前、その気持ちは分かる。煌びやかな街に住み慣れるとその2つが欠乏していくのは仕方がないことだ。
だから郊外に住み、危険な仕事に従事する労働者階級出の冒険家が少ない。彼らにしてみれば、仕事終わりに見る美しい景色も、命懸けの仕事も毎日がいわゆる冒険で、生活の一部で、わざわざ大金を払って同じことをする必要がないからである。そのことを踏まえれば、冒険は金持ちの道楽とも言える。
もちろん私はそれ自体を悪く言うつもりはない。既に持っているものを使うのは当然のことだからだ。

ただ、古の冒険家、つまりは前人未到の地に風を切って進む冒険家は絶滅し、現代の、本質がまるで違う冒険家にすり替わった。そのことだけは、ここで明言しておきたい。 

だから私は、どう足掻いても冒険家にはなれないのだ。

金を積もうが時間を使おうが、その事実が覆る日は永久にこないだろう。

私は労働者階級出の植村直己が好きだ。美しい景色も生の実感も生活の一部であったはずなのに、それでは足りず海外にまで足を伸ばす。私は裕福でないが故に、それが不思議でたまらなく、次第に惹かれ、憧れた。
植村直己は思春期の私に生きる理由を与えた、数少ない人物の一人である。
だから冒険館に、生まれ育った場所に来れて本当に嬉しい。
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植村直己冒険館の写真は無く、中の様子をうまく表現することはできない。普通の博物館のように撮影禁止のためだ。詳細は公式HPで確認してほしい。
設備や展示物を簡単に説明する。
入場するとまず上村直己のビデオを見せられる。上映時間は約15分ほどで短い。終わったら部屋から出て、好きに展示物を見に行ける。展示はいくつかのブースに分かれており、植村直己の生い立ちのパネル、装備品、遭難時の日記などを見ることができる。体験コーナーでは装備品の詰まったザックを担げたり、映像を使った犬ぞり体験などができ、こどもでも飽きることはないだろう。また、植村直己冒険賞受賞者のコーナーも豊富である。

文字だけで冒険館の魅力を伝えるのは難しい。だからぜひ実際に足を運んで見てほしい。後悔はしない。 

八反の滝

長い廊下を抜けて扉を開ける。
世界は未だ薄橙色のままで、夜はずっと遠くにあった。宿は福知山にあったが今から向かっても、時間を持て余すのは容易に想像できた。
やはり当初の計画の通り、八反の滝へ向かったほうが良いように思えた。
冒険館に背を向け、神鍋の高原へWを走らせた。遠くの山峰には白雪が張りつき、ちらちらと光っていた。私の住む土地の山とは風貌も性格も何もかもが違う雪国の春であった。
滝の入り口は別荘群に紛れるようにしてあった。Wを降り、土の被る階段を降りる。

滝。滝であった。見上げたところから水が落ち、叩き、飛沫をあげる、一般的な枠組みから突出することがない普通の滝であった。私のほかに人はなかった。
水と岩と私。あったのはそれだけで、自分の輪郭が消えてしまいそうだった。
手持ちの中望遠マクロで、なんとか写真を撮り、その場をあとにする。広角レンズを持って来ていなかったことが、この旅唯一の反省点である。 

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f:id:Neoperla:20170401163211j:plain滝入り口にて。

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道中にて。

 

その後、1時間ほどWを走らせ宿に到着。近くのラーメン屋で麺をすすった。行列に並んで飯を食ったのは初めてのことであった。

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料理写真も練習が必要そうである。

 

2017年4月1日  兵庫県豊岡市日高町伊府785  植村直己冒険館
                 兵庫県豊岡市日高町名色85-61    八反の滝 
                         京都府福知山市広峯町22     宿